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 当たり前の生活を取り戻すきっかけになる幼稚園! 当たり前の生活を取り戻すきっかけになる幼稚園!
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速報コーナー

今ふう大人の仲間作り!親が育ち合う幼稚園
 保育専門誌の「現代と保育」の平成16年11月号に特集として「武蔵野幼稚園」のお母さん方が書かれたものが掲載されました。母親としての気持ち、園との関係作りなど率直に書かれています。
 子育て中のお母さん方にとって、共感できる内容だと思います。すべて原文で紹介させて頂きます。
 
   「今ふう大人の仲間づくり」『元気な親』のパワーは
   どこから生まれるの?

    “親が育ち合う幼稚園” 武蔵野幼稚園をたずねて

 「うちの親はすごいんだから」が口癖の園長先生。今回「親と保育者の関係づくり」を特集するにあたり、そんな元気で「すごい」親の方々に直接お会いしたくて、武蔵野幼稚園(東京都八王子市)をたずねました。急遽集まってくださったのは、今年三月の卒園式で父母会手づくりの朗読劇「たくさんたくさん有り難う」に取り組んだ六人のお母さんたち。
 卒園しバラバラになった今も、学校のことなどで悩みがあると、声をかけ合うのはやっぱり幼稚園時代のお母さん仲間だと言います。「一緒に悩み、笑った人たちで、ともに育ち合う集団でした。いいところも悪いところも、認め合えるという安心感があるので、気楽に相談できるのです」とKさん。
 子育ての悩みは乳幼児期でおしまいになるわけではない。うわべだけの関係にとどまらず、一歩踏み込んだ関係を築いていけるよう、親集団を「育てる」ということには意識的に取り組んでいる、という園長先生。たとえば子ども同士のトラブルなどがあった時は、職員だけではなく、また「当事者」の親だけではなく、クラス全体の問題としてみんなで考え合うため、懇談会などでは、子どもの名前も含め包み隠さず話し合うようにしている、とのこと。話し足りないことがあったり、あのお母さんはフォローしたほうがいいという場合には、有志で集まったり電話をかけ合うことも度々。
 でもこれは「トラブルを起こす子の親」にとっては、「正直かなり辛くきつい」ことだったと話されたのは、子どもが連日のように友だちに手を出してしまう時期を経験されたOさん。私の育て方が悪いの?と追いつめられ、子どもにあたってしまっては、あとで「本当にごめんね」と謝る「地獄の日々」を支えてくれたのは、具体的な場面をあげて、子どもの成長を丁寧に伝えてくれた担任の先生。Oさん自身、「少しずつ、子どもに対して″待つ″ということができるようになっていった」そうです。「安心して幼稚園に通わせることができ」たのは最後の一年。「朗読劇」の取り組みに参加したのは、そのしめくくりとして、先生たちに感謝の思いを伝えたかったから、とのことです。
 何でも自分たちで企画してすすめていく「すごい」お母さんたちは、はじめからパワフルだったわけではないようです。子どもたち一人ひとりの成長にドラマがあるように、お母さんたちも何年もかけて、うれしいことやショッキングなことなど、さまざまな経験を積み重ねて、自分自身も、集団としても「成長」していったのだということです。では、どんなドラマが展開されていたのでしょう。お母さんにとっての、とっておきの一場面を、ご自身の言葉で綴っていただきました。
 ●トラブルは当たり前?
 あの頃の私は精一杯。張りつめていて、我慢していて、そして一人だった気がします。
 あの日長男は、大好きなアンパンマンの手押し車をうれしそうに公園に持っていった。「おじいちゃんからのプレゼント、早く乗りたい!」と。予想以上に「かして、かして!」と公園の友だちが集まってくる。私は「貸してあげなさい」と無理やり取り上げ、友だちに渡すと、公園仲間のお母さんたちの間にほっとした空気が漂う。私は息苦しかった。笑顔で涙をこらえていた。泣いている長男の顔が見れない。でも、それが正しいと信じていた。
 そんな時、私は武蔵野幼稚園と出会いました。緑が豊かで、家から近くて、ただそれだけの理由で選んだ幼稚園でした。そこは初めて出会う、にぎやかで明るい世界でした。
 一人ひとり違っていいんだよトラブルはあたり前のこと子どもの気持ちになって自分の気持ちは出していいんだよ
 こんな言葉がくり返しくり返し先生方の口から出てくる。
 トラブルなんてとんでもない
 トラブルのない子がいい子でしょ
 いい子でなければ親だって嫌われる
 私は最初ずっと心の中でこうつぶやいていたと思います。先生方と話すたびに、お便りを読むたびに、懇談会で話し合うたびに、先生の言葉が少しずつ少しずつ、硬い私の心にしみ込んでいきました。何でも話せる仲間ができて、先生方を心から信頼して、私の中で何かが少しずつ変わっていくのが、強くなっていくのがわかりました。子どもの自由な笑顔を感じることができました。
 三人目での公園の私は違います。

 わが子のおもちゃを欲しがるお友だちに、「今、使っているからねー。もう少ししたらこの子に頼んでみてね」と言ってみた。不安そうな顔をしているお母さんには、「トラブルは当たり前なんだって。私もすごく悩んできたんだ。今も悩んでばかり」と話しかけてみた。私にあの時の息苦しさはない。
 
 三人目で役員をして園長先生や先生方と話す機会が増えた時、私たち親と同じように悩み考えている先生の姿を感じました。何気ない保育の一つひとつがいかに考えられたものなのか、理解できました。

 そして、何より子どもたちが好き、保育が楽しい、と自信を持って全身でぶつかっていくパワーには圧倒され、同じ女性として刺激を受けました。子どもと母親にこんなに″力″を与えてくれるのです。うらやましい職業だと思いました。
 私にとって、幼稚園は子ども三人が卒園した今も子育てをする自分自身の土台です。感謝とともに、忘れられない私の成長の一コマです。
 ●私を成長させてくれた懇談会
 三人の男の子を通わせて今年で六年目を迎えます。同じ兄弟でも性格がまったく違う子どもたちを通わせながら、それぞれの子どもが壁にぶつかるたびに、親として何ができるのか、何に気づかなければならないのか、私自身の壁もいくつもありました。
 その中で親として大きく成長しなければ、という経験がありました。その経験があったからこそ、幼稚園側が何を要求しているのか、親としてどのように答えを出していけば良いのか、六年目になった今、それがやっとわかったような気がします。
 その出来事とは、長男が入園して間もない頃のこと。言葉がまだそんなに出なくて、自分の気持ちを言葉に出して伝えることのできない長男は、気に入らなかったりするとすぐに手を出したり、かみついたりしてしまう・・・そんな行動が何日間か続いたのです。どうして・・・と思いつつも、下の一歳の子に手がかかり、生活をまわしていくのが精一杯で余裕がなかった私は、「かむことはいけない」と言い聞かせるのがやっとでした。
 でもそれで長男の行動がおさまるわけでもありません。担任の先生とのやりとりの中で、もう少し長男にかかわる努力をしてみようと思い、下の子を実家に預かってもらって、長男と遊んだりお手伝いをしてもらったり買い物に一緒にいったり・・・という時間を意識してつくるようにしていきました。
 先生からも「少し落ち着いてきましたね」と言われて少しホッとしていたのですが、その頃開かれた懇談会で「うちの子がKくんにかまれて嫌な思いをしている・・・」という内容の話が出され、そのことについて話し合う時間が設けられました。 幼稚園一年目だった私は、子どもをかばうため、自分をかばうため(?)、言い訳のようなことを言っていたのかもしれません。そんな時、先輩のお母さんから、「うちもそうだったわよ」「言葉が遅いのは個人差もあるし、Kくんにだって理由があるはず」「IさんがKくんのために時間をつくってやっていることは絶対に無駄じゃないよ」など、たくさんの励ましや助言をいただいて、勇気づけられましかんでいることにかわりはない」と言っている人たちがいる、ということを教えてくれた人がいました。子どもが少し落ち着いてきただけに、その言葉はショックでした。 正直、幼稚園の親睦会に顔も出したくない、そんな気持ちにまでなりました。でもここでも、いつもまわりにいてくれたお友だちや先輩のお母さんに、「まわりのお母さんの評価より自分の子どもをしっかり見ていかなきゃ、私もいっぱい言われたよ・・・」と、勇気づけられました。
 担任の先生もとてもよくかかわってくださり、子どもをしつけていくことももちろん大事なことですが、その前に、自分なんだな、自分自身が前向きにならない限り、その不安を子どもがすべて感じとってしまう、そう思えるようになった時、とても気持ちが楽になりました。
 その時の私は、余裕がなく、下の子がいて懇談会にも集中できていなかったように思います。年月を重ねていくうちに、懇談会とともに私は成長してきたんだなあと感じています。
 毎回違うテーマで、人はどう考えているのか、それに対してどう思うのか、自分の言葉で相手に伝えていく、このことが苦手なお母さんも多いのです苦痛に思う人もいます。私もそうでした。でも、幼稚園に通わせている親の責任として、幼稚園と一緒にかかわっていくことはとても大切なことだと思います。
 みんながわかり合うのは難しいけれど、まわりの意見に耳を傾け、自分の子はどうなのだろう、と自分の子育てにひきつけて考えてみる、ということを一人ひとりが意識していくことによって、子どもがより見えてくるということ。今の子どもの現実の姿を受け入れることのできる母親にならなければ・・・それを教えてくれたのが懇談会でした。
  懇談会で発言するのは勇気のいることだけど、今の私は子どものことをまわりに理解してもらうことも必要なのでがんばっています。でもやっぱりまだ苦手かな?
 ●親の″対話力″を育てるしかけ
 先生方は子どもに対して一生懸命取り組んでくださいます。その姿勢に親もできることは協力しなくちゃと気持ちが動かされます。先生も一生懸命、親も一生懸命。このパワーの向かう先が同じ方向を向いていればいいのですが、それが違った場合、双方の関係は時に友好から敵対に変わったりもするのです。
 それは私が年中でクラス委員をしていた時に起こりました。
 私たちの学年は年少から年中に上がる時、四クラスから三クラスに編成し直される、つまりクラス替えを経験するはじめての学年でした。もちろん、園にとってもはじめての試みでした。
 せっかく一年かけてつくってきた関係がまた一からです。誰もが前のクラスを引きずるのは仕方ありません。でも年中から入園してくる人もいるのです。その人たちが中に入れないことのないよう、クラス委員はくれぐれも気を配ってほしいと園から言われていました。
 そこで、年長のお泊まり保育で園が休園になる時を利用して、三クラスのクラス委員とそれをサポートしてくれる親睦会の係で″ミニ運動会″を企画しました。 それは年中から入ってきた人たちのためだけではなく、前のクラスを引きずる人にも新たなクラスの方を向いてもらうというねらいもあったのです。企画はトントン拍子に進み、園長のOKももらいました。そして、″ミニ運動会″は無事、楽しく終わりました。終わったはずでした・・・ところが数日後、現場の先生方から、企画の段階で相談してほしかったという声が聞こえてきたのです。理由はいくつかあったようですが、どうやら本番の運動会で予定していた競技(玉入れ)を私たちが先にやってしまったことが問題だったようでした。
 私たちは園から言われたように、クラスが円滑に行くようにと企画し、園長のOKももらっているのに、今さら・・・そんなこと言うなんて・・・。友好関係に少しミゾができた感じでした。そして本番の運動会では、玉入れが綱引きに変更されたことで、さらにミゾは広がったようでした。
 そこで打開策として、園長、副園長、父母会三役、全学年のクラス委員、親睦会係を召集しての話し合いの場が持たれました。私たち親の言い分や思い、園の言い分や考え、それぞれ出し合いました。
 本当に本音の部分で話し合えたと思います。園長をはじめ先生方が、″問題″に対して、適当にごまかしたりせず、まっすぐしっかりと向き合ってくれる、時には柔軟に、ときにはきっぱうたりと。そして私たち親もそれに対してきちんと向き合い、わからないことは納得いくまで聞く、適当な妥協はしないということ。それがよかったのだと思います。まさに″大雨降って地固まる″でした。
 先生も私たち親も、本来一生懸命の向かう先は同じ「子どものため」です。だからお互い話せばきっとわかり合えるはずです。こういう話し合いができる″対話力″を先生も親もお互いがもっているということが、この園の底力ではないかと思うのです。
 しかしこの″対話力″は一朝一夕にできるものではありません。その力を養めに園は入園した時から、私たち親にもいろいろな″しかけ″を用意していました。(一つひとつあげるときりがありませんが・・・)私たち親はそれにうまくはまり(はめられ?)ながら、成長させてもらっていたのではないかと思います。そしてその対話力が培われる土壌を、先輩のお母さんたちからひきつぎ、次へ伝えていく。この土壌こそが武蔵野幼稚園を支える原動力だと思うのです。
 園が″しかけた″答えも、きっとこの中にかくれているのでしょう。だから″ミニ運動会″
 ●「進化する」幼稚園
 現在小学校五年生の娘と一年生の息子、会わせて六年間、武蔵野幼稚園でお世話になりました。親子で多くのことを経験し、学び、今の私たちにつながっているように思います。
 私は、この武蔵野幼稚園のことを、勝手に「進化する幼稚園」と呼んでいます。それは、娘が年中にあがる年に園長先生が今の園長先生に替わり、それまであったものが無くなったり、無かったものができたりと、ちょうど幼稚園が大きく変わっていこうとする時期に経験したからかもしれません。
 具体的にあげると、今まで幼稚園に着くと制服を体操服に着替えていたのですが、着替えの時間を遊ぶ時間にという理由で制服が廃止に。年長になると御岳山へ登り一泊する、お泊まり保育の取り組みがあるのですが、山をゆっくり満喫させたいとの考えで二泊することに。本物の劇場で人形劇を見せたいとの思いで電車で新宿に行く遠足ができたり、散歩、収穫などの園外保育がどんどん増えました。
 この年に起こった突然の改革で、親は戸惑ったり抗議をしたり、反対の署名まで回ってきたり・・・。実際私も、どうして?と疑問に感じたものもありました。しかし幼稚園側も、親たちの想像以上の反応に戸惑っていたようにも見えました。
 そうなると後は、この幼稚園のテーマでもある”話し合い”の始まりでした。でも、いくら子供たちの保育のためだと説明されても納得のできる人、納得できない人・・・・。思いを人に伝えること、理解してもらうこと、実行していくことの難しさを改めて実感しました。
 そんな深く熱い幼稚園の思いが、私にずっしり伝わってきたのが、娘がお泊まり保育から帰ってきて園に到着した時でした。輝く子供たちの笑顔。その子供たちを二泊も預かって、無事親元に帰す時の先生たちのホッとした顔を見たとき、自分たちにとって多くのリスクを背負ってまで、子どもに最高の経験をさせてくれた先生たちに感謝の気持ちでいっぱいになりました。とくにいつも元気な園長先生のドーッと疲れた顔を見た時は、その責任の重さを実感させられたものでした。
 そんな子どもたちにたいする深い思いは毎日の保育にも見られました。取り組みが山場になると化粧っ気もなく、髪をふり乱しながら子どもたちとかかわってくれる先生たち。その姿に、私もできることは協力しようと、幼稚園にかかわるようになりました。
 息子の時にも、まだまだ武蔵野の進化は続いていました。でも子どもたちが今日も歌ううたは、昔からいっしょ。「ぼくらのは小さな野生人、オー!」。野生人?!先生も親も子どもたちを見習って、もう少し野生の心を取り戻そう!毎日ただ一生懸命生きるだけのシンプルな心を。みんなで子供たちをそだてていこう。野生人を口ずさみ、少しずつ進化しながら・・・・。「母さんもたまには野生人オー!」
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